どうも、シンゴです。
人生には必ず転機というものがあります!
私の場合、今までの人生で一番の転機は間違いなく「脱サラ独立をした」ことですね。
そして仕事・プライベートに関わらず「大企業に勤めていたのに、どうして脱サラ独立をする気になったのか?」と、よく聞かれます。
その度に「やっぱり人の転機というのは興味を持たれるんだな。」と思うものですから、今回は私の脱サラ独立の経緯をお話ししてまいります。
- 上司のパワハラに悩んでいる方
- 会社の人間関係にうんざりしている方
- 会社勤めが辛くて逃げたいと思ってしまっている方
なお話の区切りから、前編と後編の2部(記事)構成でお伝えしてまいります。
このページは前編で、「脱サラ独立を決意した理由」についてお話ししてまいります。
なぜ27歳で脱サラを決意したのか?
2002年に開業したので、今から約18年前(この記事を書いた時点より)ですね。
さて、コンビニFCで独立起業した理由の前に、なぜこの若さで脱サラを決意したかと言いますと、単純に会社の人間関係に疲れて「もう人に使われるのは嫌だ!」と強く思うようになってしまったからです。
理由はそれだけです。
今思うと、ホント若気の至りと言いますか、とても浅はかだったと思います。
でもその時に気が狂いそうになるほど悩んでいた事は事実なので、そのまま勤めていたらきっと心が潰れてしまっていたのではないかとも思っています。
なのでそれ以来、この時の判断はや無負えなかったと自分に言い聞かせています。
脱サラ独立したからと言って人間関係が無くなる訳ではなく、コンビニ経営の場合は特に雇用者の立場として従業員さん達との間に円滑な人間関係を構築する事が求められます。
これはこれでとても大変な訳なのですが、今は自分がトップなので、少なくとも上からの圧力や押し付け、いびりやイジメからは無縁となりました。
でも、このしがらみが無いというのは本当に大きい。
脱サラ独立が、そういった精神的負担を減らしてくれたことは間違いありません。
なので人間関係に極端に悩まなくて良くなった事は、脱サラ独立の大きなメリットだと思っています。
では、なぜ私が「もう人に使われるのは嫌だ!」と強く思うようになってしまったのか、少し恥ずかしい話でもあるのですが経緯を詳しくお話してまいります。
就職氷河期時代に大手企業に就職出来たと喜んだが、、、
私の前職、つまりコンビニ経営を始める前まで勤めていたのは某大手食品メーカーでした。
そこで営業職をしていました。
私が就職活動をした1996~1997年はバブル崩壊後しばらく続いた就職氷河期の真っ只中で、三流を通り越し四流大学に在学していた私の就活環境は本当に酷いものでした。
名前を知っているような大企業からの求人など皆無です。
そんな中で必死に就活をした結果、私はラッキーにも程があるくらいの某大手食品メーカーから内定をもらうことが出来たのでした。
入社試験時、学歴では完全に周りに劣っていましたし、私自身も度胸をつける為の記念受験だと考えてエントリーしていたくらいですから、この結果に正直とても驚きました。
なので、何が評価されたのか自分でも本当に気になり、後に当時面接官をしてくれた営業部長に直接聞きに行ったくらいです。
でも、勇気を振り絞って雲の上の存在に近い営業部長に直接聞きに行った甲斐があって、何が評価されたのかを知ることが出来ました。
私は大学入学後、父から「お世辞にも勉強で誇れる大学じゃないから、4年間を使って色々アルバイトでもして自分に向いている仕事や職種を見つけろ。」とアドバイスを受けていました。
もっとも父からすると、少しでも経済的負担を減らしたい意図もあったのかもしれませんが(笑)
そんな訳で、私は大学は落第しない程度に頑張りつつアルバイトに精を出したのです。
大学1年の時こそいくつかのアルバイトを転々としましたが、大学2年の時から4年の卒業までは3つのアルバイトを掛け持ちで全て続けました。
うまい具合に平日のみ週末のみのバイトと、イベント系で月に4~5回のスポットのバイトと、スケジュールがほとんど被らなかった事もあって続けられたのです。
そしてその3つのアルバイトいずれでも大学3年の時からアルバイトリーダーをしていました。
イベントのバイトでは現場監督をやらせてもらったこともあったりして、本当に楽しくて充実した時間を過ごさせてもらったと思っています。
と、そんな話を面接時の自己PRでしたのですが、これがウケたのでした。
部長
「ふつうは大学のゼミで何を取り組んだとか、何の資格を取得しているとか言うのに、お前だけがバイトの話で、しかも自分は仕事が出来るぜPRだったからな。転職組かと思うくらい見事な自己PRだったぞ。
それと、3つのバイトを3年間以上掛け持ちで続け切った事も評価ポイントだ。正直最近の若い奴らは何かあるとすぐ辞めたいとか言う奴が多すぎる。学歴が高くて有資格者であったとしても、そんな奴を雇ってしまう方が結果的に損失だからな。お前のガッツを買ったのさ。」
と、そう言われました。
私はこの部長の評価に発奮し、入社当初から猛烈に仕事に取り組んで、営業配属から半年後には新人でありながら営業マンランキングで50位以内(約1300人中)に入るまでになったのでした。
そしてそんな自分に自信を持ち、この会社でずっと頑張って上を目指そうと本気で思ったものです。
上司に目の敵にされ、パワハラを受けて心が折れる
私は営業マンランキングで50位以内に入って以降、絶対にそこから陥落しまいと更に必死になりました。
そんな頑張りもあって所属する営業所内では常にダントツのトップであり続けました。
本来なら上司(営業所長)の決裁が必要な取引でも、この内容なら通るだろうと判断すると決済を仰がずにに契約して事後報告するなどしょっちゅうでした。
もちろん上司(営業所長)から注意は受けました。
しかし入社してから3年目までの直属の上司(営業所長)は、注意はするものの基本的にはやりたいようにやらせてくれる方で、私にとっては理想的な上司でした。
2年目になる頃には「ここまではお前の判断でやっていい、でもそれ以上は絶対報告だ(苦笑)」と言いつつ独自裁量権まで与えてもらえて、本当に仕事がやりやすかったです。
自分で言うのも何ですけど、私は数字はめちゃくちゃ作るが本当に扱いづらい部下だったと思うのですが、この時の上司はそんな私の人間性や営業特性を理解し、逆に上手にコントロールされていたのだと思います。
実際、他の営業マン達に対しての接し方やフォローも絶妙でしたので、本当に人を使うのが上手い方だったと思います。
3年目になった時には、私を次年度昇格人事の候補として推薦もしてくれました。
そのおかげで4年目に社内的に最速となる昇格人事を受けることが出来ました。
この事は今でも感謝していますし、同時にこの方が私の理想の上司像そのものとなったのです。
また同時に、このような素晴らしい上司のいる会社がもっと好きになり、改めて頑張っていこうと思ったのでした。
しかしその入社4年目に、状況が一変します。
人事異動で営業所長が変わったのです。
新しい営業所長は着任するなり私を呼び出し「今までかなり好き勝手やってきたようだが、私は例外を一切認めないからな!とりあえず、お前の独自裁量権は取り上げるから。」と、かなり強い口調で言ってきたのです。
私はとても驚き、唖然としました。
何と言うか、手足をもがれた気分になりました。
確かに多少強引にやってきた事は認めますが、全ては営業所の数字、会社の数字と利益の為にやってきたのになぜこんな事を言われなければいけないのか、そしてこれまで認められていた行動を制限されなければいけないのか、理解に苦しみました。
まして私も昇格し、平社員ではないのです。
営業所内でもNo.3のポジションにあたるのに、この扱いはあんまりです。
むしろ更に機嫌を悪くしてしまったようで、「他部署とも決済無しに勝手にやりとりしているようだが、それもやめろ。とにかく私の前で勝手な行動は許さん。」と、更なる制裁を科してきたのです。
私はこの3年間かなり自由にやらせてもらっていたおかげで、社内の様々な部署に独自コネクションを持つに至っていました。
その為、通常なら割とめんどくさい手順を踏んで申請しなければならないことも、電話1本の根回しであっさり通すなど、営業所長でも出来ないような芸当が出来るまでになっていました。
何より前の営業所長は逆にそれを利用して、私に「これを根回ししておいてくれないか」と頼んできたきたくらいですから。
これは私自身もさることながら、営業所にとってもメリットが多い事だと思うのですが、それすらも否定してきたのです。
新しい営業所長の私に対する圧力はこれに留まらず、よくわからない理由を着けては私を営業所員全員の前で叱責する事を繰り返しました。
何か経緯があってこの様な状況になっているならまだしも、彼が赴任してくるなりいきなり私をターゲットにして一方的に攻撃してきたので、私はどうすれば良いのか全くわからないで途方に暮れたのでした。
真相を知って驚愕し、独立起業に心が傾く
私は、一気にやる気を失いました。
これまでの私の頑張りはいったい何だったのか。
こんなに頑張ってきたのに、なぜこんな理不尽な扱いを受けなければならないのか。
考えれば考える程、悔しくなりました。
そして、人事異動でこの様な状況がいとも簡単に生まれる会社組織というものがとても嫌いになりました。
上司のさじ加減一つで人の人生が左右されてしまうなんて、どう考えてもおかしいじゃないですか。
こうして私は「もう人に使われるのは嫌だな」と強く思うようになっていき、退職を決意したのでした。
退職したい旨をこの営業所長に告げた時、彼はニヤッと笑いました。
でも、なぜ彼がニヤッと笑ったのか、そしてなぜ私を最初から執拗に攻撃してきたのか、理由を退職してから知ることになります。
その理由ですが、前任の営業所長を彼が勝手にライバル視していて、いずれそのライバルの片腕になるかもしれない私を潰しておこうと考えたようです。
これには更に伏線があって、私は知らなかったのですが大企業なのでやはり内部に派閥があったようでして、この2人はそれぞれ別の派閥に属していて、その派閥間の争いも背景にあってパワハラがエスカレートしていった様なのです。
なので彼にとってはまさに目論見通りになったという訳なのです。
この事は、何らかの理由で知る事となった営業所内の同期が伝えてくれたのですが、私はその理由を知った時、改めて辞める判断をして良かったと心底思ったのでした。
私の知らない所で私の事を駒の様に考えて、邪魔になるかもしれないという憶測だけで人を攻撃するような体質を持った集団の中にいるなんて、こっちから願い下げです!
そして、こんなドラマのような事が本当に起こるのだなと思うと、人間の出世欲や顕示欲というのは本当にバカにならないなと思いました。
嫌なことから逃げるのは恥ではない!
今回は私がなぜ脱サラ独立をしたのか、その大元となった出来事をお話ししてまいりました。
ちょっと胸糞が悪くなるお話しでしたが、私が恥を忍んでこの辛かった経験をこの場で語らせていただいたのには理由があります。
もちろん時と場合によると思いますけど、その嫌な事が成長するための壁ではなく、ただただ嫌悪感を感じる事なら、無理に立ち向かう必要は無いと思うのです。
むしろ逃げた方が、かえって人生が開ける場合もあります。
何といっても、会社を辞めて地元に帰ってきたら直ぐに妻と出会えましたから(笑)
もしあなたが今、かつての私と同じようにパワハラで悩んでいるのなら、立ち向かわずに逃げるというのもひとつの手段だと思って頂ければ幸いです。
逃げる時は勢いで飛び出さず、しっかり用意周到準備してから逃げ出しましょう。
私はここを怠った為に、独立手段を探すのに苦労をしましたし、選択肢も本当に少なかったのです。
結果、コンビニFCというリスクの高い店舗系ビジネスを選ばざるをえなかった。
その辺りの事情を、次回詳しくお話し致します。
ご期待ください。
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